芬芳広場 広場は「曲径通香」の北側に位置し、桃の花の形を呈し、ここでは、衡水老白干酒に関する歴史及び醸造知識を学びましょう。この時、意外と八号工坊の香りに出会ったかもしれません。春と秋の季節に、向かいの山と周りの花の香りがお酒の香りとお互いに引き立たせ、こころにしみわたります。
八号工坊 八号工坊は面積が9600㎡で、計7280個の埋甕、80基の発酵槽、8基のコウリャン蒸し酒蒸し施設が設けられており、生産能力は1800トンです。 本工坊は衡水老白干の伝統的な酒粕添加調合、混合蒸し、混合焼きという従来の五甑(こしき)製造プロセスを採用し、国家級無形文化遺産として、1980年代の衡水老白干の醸造生産モードを代表しており、埋甕発酵、人工でがめ払い出し、人工で原料調合、人工での箕による甑充填、人工でどぶろく作りなどの伝統的な方法及びワイヤーホイスト、乾燥冷却装置を採用しています。これは衡水老白干醸酒生産のインダストリー1.0に相当します。
酔翁亭 ここは極めて良い休憩、納涼の所です。ここでは、「花間に一壺のお酒」という趣を感じ、「酔翁の意は酒に在らず、山水の間に在るなり」という洒脱も体験できます。人間は何物で胸中にうっ積している怒りや悩みを洗おうかというと、心が広くて酔翁になりたく、これに楽しむものとして、醉翁亭です。
十号工坊 十号工坊は面積が6000㎡で、計4601個の埋甕、60基の発酵槽、6基のコウリャン蒸し酒蒸し施設が設けられており、生産能力は1400トンです。 本工坊は衡水老白干の伝統的な醸造技術のノウハウを受け継いだ上で改良し、清蒸清焼三排浄という製造プロセスが形成され、21世紀初の衡水老白干醸酒製造モデルを代表しました。この製造モデルでは、埋甕発酵、人工払出、人工での箕による甑充填、人工でどぶろく作りなどの伝統的な方法と機械による原料湿潤、機械によるどぶろく撹拌、机械による乾燥冷却、車運送などの機械化補助方法を採用しています。これは衡水老白干醸酒生産のインダストリー2.0に相当します。
1949年初に、ソ連の使者であるミコヤンが西柏坡に訪問したときに、中央五大書記である毛沢東、朱徳、劉少奇、周恩来、任弼時は衡水老白干で温かく接待しました。ミコヤンは、「この老白干は我が国のウオッカより美味しいですね!」と褒めました。
共和国第一酒庫 衡水老白干は漢時代に誕生され、唐時代に盛んになり、宋時代に有名になり、明時代に正式に命名されました。1945年12月に、衡水が解放され、政府は十八社の伝統的な私営醸酒工房を公有化し、千年に及ぶ暖簾を一社に集めました。これは中国共産党の指導のもとで設立された初めての国営製酒工場になりました。その後の七十年以上の発展中に、衡水老白干は歴代の国家指導者の注目を集めてきました。 この酒庫は前ホール、酒貯蔵エリア、酒銀行、テイスティングホール、プライベートコレクションエリアなどのエリアからなり、ここでは、衡水老白干の伝統プロセス、歴史及び名誉を振り返り、衡水老白干酒の非凡な品質を味わい、異なる年度の原酒の香りと甘みを楽しみ、お気に入りの美酒を密封して貯蔵することができます。
酒銀行はお客様プライベートコレクションエリアであり、付加価値サービスが提供できます。この中に「対酒当歌」ホールが設けられており、観光客はここで封壇式を催し、衡水老白干酒をテイスティングし、中国首席ソムリエ等のエキスパートとテイスティング感想を交流することができます。同銀行には、数多くのプライベートコレクションエリアがあり、敷地面積が900㎡異常で、封壇老酒を1000壇以上貯蔵できます。
1915広場 1915年に、太平洋と大西洋を結ぶ主要な国際航路であるパナマ運河の開通を祝うために、米国はサンフランシスコで「パナマ万国博覧会」という世界規模の万国博覧会を開催しました。これは万国博覧会の前身でした。パナマ万博の賞は、(甲)大勲章、(乙)名誉勲章、(丁)金勲章、(戊)銀勲章、(己)銅勲章、(丙)奨励メッセージ(勲章なし)の6項目に分けられました。当時、中国は初めて国家名目で展示会に参加したことから、この時代は「メイド・イン・チャイナ」の世界初登場だと言われています。パナマ博覧会の受賞企業として、当時すでに世界をリードしていた技術と品質の水準を誇っています。十八酒坊の一つである徳聚酒坊で製造されたコウリャン酒は直隶官庁の代表として、海を渡って世界の舞台に乗り込み、一気に最高賞である金賞を受賞しました。この栄誉を記念するために、当社は2008年末に1915を設計、開発しました。